病院メッセージを終えて

親戚の通夜に行った。
身内のクルマの運転手になった。
首都高中央環状線を進むと、ほぼ正面に東京拘置所が見えてきた。
ああ、懐かしい!
私は“塀の中”に入ったことはないが、そう遠くない昔、東京拘置所の周囲をそぞろ歩いたことがある。
桜が美しかったっけなあ。
......。


AAの小さなイベントで食事会に参加した。
この寒い中、アウトドア。
日が当たらない場所なので、煮炊き用の焚き火すら心細かった。
しかし、鍋物はおいしかった。
熱々のダイコン・ジャガイモ・ニンジンが美味い美味い。
タラとかシャケとか入っていればなお良かった......?
いやいや、普段の食生活があまりにも貧しいせいもあるだろうが、ツミレやゴボウ巻きで十分すぎるほどだった。

その流れで、おそらく今年最後の病院メッセージに参加した。
この病院のメッセージには、他にAA関連のイベントがあったときに2回だけ不参加だったのみで、ほぼ1年間とおして参加することができた。
同じことを続けていれば、変わったところもおのずと見えてくる。
例えば、仕事に就けたこと。
例えば、抗うつ剤を止めたこと。
例えば、自分の病気の性質がより明らかになっていったこと。

今になって感じるのは、たいていのことは“年単位”の時間が必要だ、ということだ。
私の場合、仕事に就くのも、抗うる剤を止めるのも、自分の病気の性質がより明らかになるのも、“年単位”の時間が必要だった。

身内が近々の仕事の異動のことで悩んでいる。
身内が着実に老いていっている。
そんな中で私一人が世間ズレしているのかもしれないが、私は私のスピードでしか歩けないし、私のやり方でしか対処もできない。
だが、私は私のスピードで歩けばいいし、私のやり方で対処すればいい、それだけのことなのだ。

来年はどうしよう?
同じように、この病院のAAメッセージを続けるか、それとも別のメニューにするか。
まあ、続けるにしてもしないにしても、選択肢があるというだけ、恵まれていることを忘れないようにしよう。



So we have found it therapeutic to nip off many old ideas that start to sprout up again. And they do, over and over.

What we try to achieve is a feeling of being relaxed and freed from the bonds of our old thinking. Many of our former habits of thought, and the ideas they produced, limit our freedom.
(LIVING SOBER 27 Letting of old ideas)